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様々なかたちの希望

 東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に、心からのお見舞い申し上げます。
 
 あの地震があってから、様々なことを考えました。
 テレビから映し出される被災の現場の様子は想像を絶するものでしたが、北海道の東端にある街には高さ30センチの津波が来た程度で、11日以降も日常生活にはほとんど変わりはありません。

 被災地には未だに助けを求めている多く方がいらっしゃること。福島の原子力発電所では命がけで戦っている人々がいることも知っています。
 でも、ぼくの住む街ではスーパーに行くと、今のところ普通に食品が買えます。そして、パチンコ店の駐車場を見ると、いつも以上の台数の車が停まっていました。

 そのギャップに、すごく苦しみました。
 テレビに映し出される地獄のような光景と身の回りの光景との間にギャップがあり過ぎて、何もかもがリアルに感じられないのです。

 今は普通に暮らせることの幸せをかみしみめるべき時なのかもしれません。でも、今回の震災、それに伴う原子力発電所の事故はとても他人事とは思えません。
 10メートル以上の津波が街を飲み込み、多くの街が壊滅状態になり、たとえ極微量であっても、空気や水道水、食べ物から放射性物質が検出されたことは、決して目をそむけてはならない事実です。
 3月11日以前と以降では、ぼくたちの国のあり方や国土はすべての面で変わってしまったのかもしれません。


 震災の数日後、佐野元春のHPのトップページに掲載された『それを「希望」と名づけよう』という詩には、強く心を動かされました。
 そして、数日前の夜、震災後初めてCDを聴きました。佐野元春の「COYOTE」でした。
 ぼくは「COYOTE」を聴きながら、思いっきり泣きました。すると、少しだけ心が軽くなりました。

 震災の直後から、イギリスに住む友人が英国赤十字の支援を取り付けて、日本の着物を着て街頭で募金活動を行っていることをネット上で知りました。
 そして、自分のいる場所を見つめてみれば、たとえわずかな支援にしかならないとしても、ぼくにもできること、誰かの助けになるかもしれないことが、たくさんありました。
 それが、きっと「希望」なのだと思います。

 そういえば、我が家の近くにある雪のなくなった山の斜面では、枯葉の間から福寿草が顔を出し始めました。

福寿草

 長い冬にも必ず終わりはあります。
 毎年、それを知らせてくれるこの花も「希望」のひとつです。
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