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ユニクロから Love & Peace & " " Tシャツ発売

 キヨシローにちなんで「Love & Peace」をモチーフにしたTシャツが、ユニクロから発売されるそうだ。

ユニクロTシャツ特集・忌野清志朗

 特集ページによると、Tシャツは7種類。Tシャツにはキヨシローに縁のあったアーチストが「Love & Peace」の後に一言付け加えたものがプリントされている。
 例えば、チャボの場合は「Love & Peace & " Guitar " 」、奥田民夫は「Love & Peace & " CARP " 」と、それぞれの個性が出ていて、なかなか面白い。

 そんなユニクロのTシャツの中で、ぼくが欲しいのはCharの「Love & Peace & " How? " 」だろうか。あぶり出しで描かれたというフレーズも良い感じだ。いずれにせよ、4月29日には近くのユニクロに行って、現物を見てから何枚か買うつもり。
 さらに、Tシャツの写真の下からリンクされているスペシャル対談も読み応えがある。Charさん、しびれる言葉を連発されてます。

「俺はやっぱり『昨日はクルマの中で寝た』っていうとこの次の『手をつないで』がすごいと思う。あそこの一言だな。優しいっていうか、こう…、そこの一言ですべてが俺は、清志郎だなって思う。なんかものすごくセクシャルな、ロックンロールにありがちな歌詞で来るんだけど、でも必ず、イノセントなんだよね」(スペシャル対談より一部引用

 ぼくは上のCharの言葉がキヨシローの本質を捉えているように思える。無邪気さ、無垢な心、イノセントというキーワードを抜きにしてキヨシローを語ると、彼のホントの姿を見誤る気がするのだ。

 今回のユニクロのTシャツ、面白い企画だと思うけれど「Love & Peace」という文字だけを見ていると、この先にキヨシローがジョンと同じように聖人化されていくような危惧も感じる。
 今回の事故で、20年ぶりに脚光を浴びた「サマータイム・ブルース」や「ラブ・ミー・テンダー」あたりの唄についても「彼は予見していた」なんて見方がある。
 イノセントな心を持ったキヨシローにしか見えない世界が確かにあった。でも、当時のキヨシローは単純に「あれは何だか危ない匂いがするぜ。オレはあいつが嫌いなんだ」と唄いたかっただけではないだろうか。
 

 というわけで、今日の一曲は「Love & Peace」にちなんでジョン・レノン。CharのTシャツのフレーズにも使われていた「How?」を。


 
 この曲の中でジョンはこんなフレーズを唄っている。
 
 人生は長いから強く生きないとね。
 でも、世界はとてもタフで、時にはうんざりすることもあるだろう。
 
 どこへ向かっているのか知らないで、ぼくたちはどうして先に進めるんだろう?
 どちらに曲がるのかも知らないで、ぼくたちはどうして先に進めるんだろうか?

 
 行き先が分からないと前には進めない。想像できないことは実現しない。
 そんなことを感じさせてくれる「How?」。今のぼくには「イマジン」よりも心に響いてくる。
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| 忌野清志郎 | 11:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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いまごろになって「Clapton」が良く聴こえる

 去年の9月のことだ。車に乗っているとFMラジオからエリック・クラプトンの「枯葉」が流れてきた。そして、聴き終えた瞬間に、ぼくは「オヤジ、あまりにもあざといで!」と声を出してしまった。
 秋にリリースされるニューアルバムのラストに「枯葉」。あまりに分かりやすい選曲で、はまり過ぎ。「渋いオレが、渋い声で、秋に『枯葉』を唄えば、みんな酔うやろ」というような魂胆が丸見えである。ぼくは長年に渡ってクラプトンのファンを続けてきたけれど、何だかいたたまれない気分になってしまった。

 クラプトンという人は、これまで自分の計算外のところでヒットを打って、ロック界で生き延びてきた気がする。
 例えば、1974年のジャンキーからの復活アルバム「461 オーシャン・ブールヴァード」の中の「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。この曲のレコーディングにクラプトンは乗り気ではなかったらしいが、当時のバンドのサイド・ギタリストのジョージ・テリーの強力なプッシュもあってレコーディングされ、大ヒット。結果として、クラプトンの復活に花を添えた。
 さらに、今も続くクラプトン人気を決定的にした「アンプラグド」への出演にも積極的ではなかったという。乗り気じゃなかった曲や企画が大ヒット、親友の妻への横恋慕が世紀の名曲につながってしまうのが、エリック・クラプトンという名の人生なのかもしれない。
 
B003XMUFGQClapton
Eric Clapton
Reprise / Wea 2010-09-28

by G-Tools

 その点でいうと、最新アルバムである「Clapton」は明らかに狙い過ぎだった。一部では「ムード歌謡」ともいわれていたムーディーな曲も年相応過ぎて、好きじゃなかった。「30年以上も続けてきたクラプトンの新しいアルバムを即買うことも、これで終わりか」とも思ったのだが・・・・。

 でも、少し前に思いついたように「Clapton」を引っ張り出して、車で聴いてみると、これがやけに良かったのだ。特に「Rocking Chair」や「How Deep Is The Ocean」「My Very Good Friend The Milkman」といった古き良き時代のジャズが良い。あの時に、怒りすら感じた「枯葉」だって、悪くない。

 逆に「Diamonds Made From Rain」に違和感がある。この曲は最近のクラプトンの中では「名曲のひとつだ」と思うのだが、現代的なサウンドがアルバム全体からすると何だか収まりが悪く、浮いているような気がして、残念だ。
 まあ、ブルースや新曲を入れちゃうところが、クラプトンらしいバランス感覚なのかもしれないけれど、思い切ってアルバムすべてを古いジャズ路線でやっても良かったのではないか。今のぼくにはそれほど古めかしいジャズが心地よく聴こえてくる。

 そういやば、昨晩はGyaO!の映画で「ザッツ・エンタテインメント」を見た。
 この映画は往年のハリウッド、MGMのミュージカルの総集編。高校生の時に映画館でも見たことがあるが、その時は黄金時代のミュージカル映画の良さなんて、ちっとも分からなかった。
 でも、今になってみると「Clapton」のように、やけに素晴らしく見えてしまうから不思議だ。

 例えば、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」は、まちがいなく映画史上に残る名シーンである。



 古きよきアメリカに心惹かれるってのは、ある種の現実逃避かもしれない。
 でも、時にはヘビーな現実を少しの間だけ忘れさせてくれる良質な娯楽も必要だと思う。 

| エリック・クラプトン | 19:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Zutto Usodatta!

 ぼくは陰謀説は好きじゃない。人間の性善説ってのを信じたい。
 でも、さっき新聞各社のサイトを見ていて、ぶっとんだ。

福島原発事故、最悪「レベル7」 チェルノブイリ級に(朝日)

福島原発事故、最悪の「レベル7」に引き上げ(読売)

福島第1原発:最悪のレベル7に(毎日)

 誰とは言いませんが、あまりにタイミングが良すぎやしませんか?
 ひょっとして、ずっとウソだったのかな?



 この曲については「売名行為だ」なんて意見もあるようだけど、ぼくは「もう、歌わずにはいられない」という切羽詰った気持ちと怒りを感じる。仮に売名行為であったとしても、これはずいぶんとリスクの高い売名行為ではないか。

 ぼくはちょっと前のエントリーに「こんな時は自分にできることをすること、それが希望」ってなことを書いた。
 近頃では忘れられてしまっているけれど、そもそもロックやレゲエってのはレベル・ミュージック(rebel music)である。つまり、反抗する音楽だ。と同時に商業音楽でもある。
 ロックンローラーというお仕事があるとするなら、今やるべきことは売名行為といわれても、叫ぶことだろう。斉藤和義はロックンローラーだと思います。

| BEATな話題 | 12:22 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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音楽がなければ、見えない景色もある

 東日本大震災から早くも1カ月が経過しようとしている。
 少しずつではあるけれど、東北の被災地からは復興のニュースが聞こえ始め、テレビもほぼ通常の放送に戻りつつある。
 しかし、福島の原発の事故は依然として予断を許さない状況で、最悪の事態を脱するどころか、問題が長期化、深刻化する様相が濃くなってきた。

 そんな中、こんな動画を見た。
<孫正義>原発問題について熱く語る

 まず、自分の過ちを認めた上で、原発への意見を述べて、代替案も提案する。
 どちらかというと孫氏は苦手な部類に入る人物だったけれど、いわゆる経済界の要人と思われる人が、真っ直ぐすぎるくらいの正論を述べている姿を見て、ぼくは彼に対する考えを改めたし、正直なところ驚いた。
 どうして、普通のテレビからはこのような正論が聴こえてこないのだろう?
 

 震災の直後からしばらくの間、ぼくは音楽を聴く気にはなれなかった。ましてや、爆音でエレキギターをかき鳴らす気分でもない。
 妙に悲観的になったりせず、プラグマティックに暮らすべきなのは分かっていても、CDやギターに手が伸びなかったのだ。

 3月いっぱいくらいまで、そんな日々が続いたが、佐野元春が30周年記念のコンサートの最後に残した言葉を、ふと思い出した。それは、こんな言葉だった。

 「あてもないこの人生に、音楽があったことに感謝をしたい。音楽がなくても生きていけるけれど、音楽がないと見えない景色もある」

 そういえば、東日本大震災の前と後で、ぼくにはこれまでと違った意味合いをもって聴こえてくる唄がいくつかある。

 例えば、PANTAの「裸にされた街」。



 この唄は高校生の頃から大好きだったけれど、今ではまったく違った意味を持って、聴こえてくる。

 さらに、佐野元春の「新しい航海」。



 とても抽象的な詩で、特定のことを唄っているわけではないけれど、これまでの何倍もリアルに響いてくるのはどうしてだろう?

 次はキヨシローの「激しい雨」。



 ぼくは「RCサクセションが聴こえる」というサビのフレーズのホントの意味が、ようやく分かったような気がする。

 最後はキヨシローと佐野元春の「明日なき世界」。



 もちろん、歌や詩の受けとめ方は人それぞれである。むしろ、様々な感じ方のできる詩や曲のほうが素晴らしいはずだ。

 ただ、これらの曲には絶望の向こうの希望、希望と背中合わせの絶望が表現されている。ぼくが単純な応援ソングに心を動かされないのは、希望と絶望が表現されていないからだ。未だに「上を向いて歩こう」を聴いて、心がキュンとするのは、希望と絶望の入り混じった唄だからではないだろうか。

 確かに、音楽がなければ、見えない景色はある。

| BEATな話題 | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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