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よく考えりゃ、似ているこの2人。マイルスとディラン

 ぼくのフェイバリットなミュージシャンでもある、マイルス・デイビスとボブ・ディラン。ジャズとロック、音楽性もまったく異なるこの2人だが、よくよく考えてみると、かなりの共通点がある。

 まず、誕生日が近い。マイルスは1926年5月26日生まれで、ボブは1941年5月24日生まれ。2日違いの誕生日で、同じふたご座。そして、アメリカの片田舎からニューヨークに出て行って、コロンビア・レコードと契約(マイルスの場合はブルーノート、プレステージを経て)し、そこに長らく在籍しているのも同じだ。


 キャリアの中でエレクトリック化し、賛否両論を引き起こしたのもよく似ている。ボブの場合はフォークシンガーとしてデビューしたが、「追憶のハイウエイ61」で完全にエレキ化し、いわゆるフォークロックというサウンドを確立した。
 マイルスは「ビッチェズ・ブリュー」で60年代のジャズの終わりを告げると同時に、その後に出現したフュージョンやクロスオーバーと呼ばれたエレクトリックなジャズのきっかけを作った。

 しかし、一気にエレクトリック化したかというと、2人ともかなり慎重な部分もあって、ボブはまず「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」でレコードのA面だけをエレクトリックサウンドにして、B面を従来通りのアコースティックで構成。フォークシンガー・ディランの部分を残しつつ、新しいサウンドへのファンの反応を試すようなことをしている。
 マイルスも「マイルス・イン・ザ・スカイ」「キリマンジャロの娘」の一部にエレクトリックサウンドを導入したが、完全に従来のアコースティック・ジャズと手を切ったのは「ビッチェズ・ブリュー」の前作である「イン・ア・サイレント・ウエイ」からだ。

 キャリアの中で長いリタイア期間があるのも同じだ。
 ボブは1966年に「ブロンド・オン・ブロンド」をリリースした直後にバイク事故を起こし、療養のために活動を停止。今では「それほど大した怪我ではなかったのではないか」とウワサされる事故を理由に、セミリタイア生活に入ったボブだが、自伝によると「ロックスターを辞めて、本気で単なる父親になりたかった」らしい。散発的にレコードをリリースし、ゲスト的にいくつかのステージには上がったものの、ほとんど公の場には姿見せず、ウッドストックで隠匿生活を続けた。
 ボブがロックのメインストリームに復活したのは1974年になってからだ。「プラネット・ウェイヴズ」をリリースし、年初からザ・バンドを伴って全米ツアーを敢行して復活を高らかにアピールした。

 マイルスの場合は1975年に強烈なカオスとパワーを感じるライブアルバム「アガルタ」「パンゲア」を日本で録音した後、病気療養を理由に引退を宣言。一切の音楽活動をストップした。
 マイルスの自叙伝には「引退の直接の原因は健康上の理由だが、精神的な疲れも大きかった」「長い間、音楽だけに生きてきて、芸術的にすべてを出し切ってしまい、音楽的にも何もすることがない気がした」と書かれている。つまり、マイルスは肉体的にも精神的にも極限状態に達していたのだろう。デビュー以来、音楽の世界を全力疾走で走り続けたマイルスには休養が必要だったのである。
 しかし、自叙伝に書かれている引退期間中の生活が凄い。とても、休養とは思えないのだ。「たくさんのコカインをやり、家に連れ込める限りの女たちとヤリまくっていた」で始まり、10ページ以上に渡って描かれる引退生活の様子は、キース・リチャードの数あるジャンキー時代の話にも匹敵する壮絶さだ。
 このマイルスの自叙伝は上巻下巻に分かれていて、少し長いけれど、今では文庫本にもなっているので、ファンは必読の書である。

 正直、そんな生活からよくカムバックしたと思うが、1981年に「ザ・マン・ウイズ・ザ・ホーン」をリリースし、ツアーも再開。以後は死の直前まで、全世界を巡り、ライブを続けた。これも、未だに「ネバー・エンディング・ツアー」を敢行し続けているボブとよく似ている。
 カムバックライブの模様を収録したボブの「偉大なる復活」とマイルスの「ウイ・ウオント・マイルス」のどちらもが、過剰なまでに熱いライブ盤なのも、共通点だったりもする。

 ミュージシャンとしての生い立ちが、よく似ている2人にはレコードジャケットにも多くの共通点がある。
 まず、平気で妻や恋人を登場させる。ボブの場合は有名な「フリー・ホイリン」における、当時の恋人スーズ・ロトロとのツーショット。これは自らのレコードで恋人をばらしちゃう「ひとりフォーカス」的なもの。しかし、ロック史上に残る秀逸なデザインなのが、ボブの凄いところだ。
The Freewheelin' Bob Dylan
B00026WU64

 マイルスは、さらに開けっぴろげで、妻や恋人を頻繁にジャケットに登場させる。「いつか王子様が」「ESP」「ソーサラー」などがあり、中でも「ESP」の脱力具合は相当なものだ。

 さわやかな風が吹く、午後のテラス。くつろいでいるマイルスの前に現れる美人妻。「あなた、今日の晩ごはん何にする?」「そうだなあ、今日はあっさりしたものが良いなあ。まあ、お前の作るものなら何でも良いよ、デヘヘヘ」などというセリフが聞こえてきそうなジャケットである。
E.S.P.
B00000DCH2

 マイルスとボブは絵を描くのが好きで、自作の絵をジャケットに使っているのも同じ。ボブの場合は「セルフポートレート」で自画像を使っている。ザ・バンドのデビュー作にして、最高傑作「ミュージック・フロム・ビック・ピンク」のジャケットもボブの絵だ。
Self Portrait
B000025YG9

Music from Big Pink
B00004W50T

 マイルスは「スター・ピープル」で自作の絵を使った。マイルスは死の直前まで絵筆を持っていたらしく、こちらのサイトで作品の一部を見ることができる。
スター・ピープル
B00005L9ME

 長々とマイルス・デイビスとボブ・ディランの共通点を書いたが、最も似ている点は2人が偉大なミュージシャンであることだ。彼らの音楽は、今もぼくの心を強烈に刺激する。

| ボブ・ディラン | 19:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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