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夏に聴きたくなる1枚 Vol.2 Live!

 今からもう十数年前の話になる。
 当時のぼくは大阪に住み、うだるような暑さの夏だというのにネクタイをしめて、フツーのサラリーマンをしていた。その会社には音楽好きの女の子がいて、昼食を一緒に食べに行ったときなどに、よくロックの話をした。そして、ざるそばをすすりながら、こんな会話をした記憶がある。

 「夏はどんな感じの音楽、聴いてるんですか?」
 「えっ、夏か。あんましロックに季節は関係ないと思うけど、やっぱウエストコースト・ロックかな。あと、レゲエとかも聴くで」
 「へぇー、私もレゲエ好きなんですよ。どんなん、聴くんですか?」
 「オレが好きなんは、ボブ・マーリーとかジミー・クリフかなあ」
 「あーっ、ルーツ・レゲエですね」
 「な、なんや、そのルーツ・レゲエって!」

 ぼくは実際にライブを見たことがあるボブ・マーレーが、もはやルーツレゲエと呼ばれていることに、少なからずショックを受けた。しかし、当時はドラムマシンを使い、DJ主導のデジタル化した踊るためのレゲエが主流の時代。ラスタファリアニズムの影響や政治的な歌詞のあるレゲエは、すでにルーツ・レゲエと総称されていたらしい。
 でも、分類なんて、どうでもいい。昔も今も、ぼくにとってレゲエといえば、ボブ・マーレーである。

Live!Live!
Bob Marley & the Wailers


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 1975年にロンドンで録音された「Live!」は、アルバムに封じ込められた熱気が半端ではないライブ盤だ。
 前年にクラプトンがカバーした「I Shot the Sheriff」が大ヒットし、レゲエという音楽とボブ・マーレーの名前が世界中に認知された直後のせいだろうか、アルバムから伝わってくる会場の熱気がすごいのだ。その熱を真正面から受け止め、倍以上にして返すボブ・マーレーとウェイラーズのプレイは、何枚かある彼らのライブアルバムの中でも一番の熱さだと思う。
 
 全7曲、CDの時代となっては短く感じる40分弱のアルバムだが、中身は濃厚のひと言。中でも、ぼくが好きなのは5曲目の「No Woman, No Cry」だ。スローなレゲエだが、穏やかな曲の流れとは裏腹に曲に込められた熱量は、アルバムの中で最も高いかもしれない。さらに、ポジティブな内容の歌詞も素晴らしい。

 前回のエントリーの続きの話になるが、1969年にスピリットを置き忘れて、失速していたロックに、強烈な一撃を加えたのは、カリブ海に浮かぶ小さな島から発生したレゲエという音楽だと思う。それだけに、ボブ・マーレーの早過ぎる死が、未だに悔やまれる。

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| ロックの名盤 | 11:01 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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夏に聴きたくなる1枚 Vol.1 Hotel California

 このところ、エレキギター関係のちょいと長めのエントリーが続いたので、今回はこのブログの原点に戻って、名盤紹介を。
 ついでに、台風は来ているけれど、梅雨明けも近く、季節はいよいよ夏真っ盛りに近づく時期なので、ぼくが夏に聴きたくなるアルバムを何回かに分けて、紹介していきたいと思っている。 

 初回はイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」。
 あまりにもベタベタなチョイスなので、自分でもちょっと恥ずかしくなるけれど、これは未だに夏になると聴きたくなる1枚だ。

Hotel CaliforniaHotel California
Eagles


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 このアルバムがリリースされたのは1976年暮れのこと。この年、アメリカは建国200年に沸きかえり、様々なイベントがあった。イーグルスが狙ったわけではないだろうが「ホテル・カリフォルニア」は、アメリカ建国200周年の最後を締めくくるようなタイミングでリリースされた。

 しかし、実際に「ホテル・カリフォルニア」が爆発的にヒットしたのは、翌77年に入ってからだ。
 当時のぼくは中学3年生、ロックにめざめたばかりで、ビートルズに夢中だった。でも、少ないおこずかいの中から買えるレコードは、月に1枚のシングルレコードが精一杯だったので、ラジオにかじりついて、たまに流れるビートルズの曲を手当たり次第に録音した。今では、死語のエアチェックというやつである。
 そんな頃に、日本でも大ヒットした「ホテル・カリフォルニア」は、ラジオをかけていれば、嫌でも1日に数回は耳に入ってくる曲だった。

 この曲は「ホテル・カリフォルニアへようこそ、ここは美しい人のいる、美しい場所」というサビの歌詞から、日本ではカリフォルニア賛歌(本国アメリカでもそうだったのかもしれないけれど)のように受け取られたはずだ。
 そして、この頃に雑誌「POPEYE」が創刊し、誌面ではかっこよくって、夢のようなアメリカ西海岸の文化や風俗が盛んにが紹介されていた。日本における捻じ曲がった西海岸幻想の誕生である。

 街には「UCLA」とプリントされたTシャツが溢れ、公園ではフリスビーが飛び交った。ぼくの住んでいた大阪では「アメリカ村」というそのものズバリの名前の商店街が出現し、カリフォルニアとはまったく異なる蒸し暑さの中で、大阪の若者たちはアメリカの西海岸を夢みた。
 しかし「ホテル・カリフォルニア」は、単なるカリフォルニア賛歌ではなかった。むしろ「カリフォルニアに行けば、すべてがうまくいく」という幻想を無残にも打ち砕くような唄だったのである。

 この唄の半ばに印象深いフレーズがある。
 ホテル・カリフォルニアにチェックインした男が給仕に「ワインを持ってきてくれ」と頼む。すると彼は「ここでは、1969年からスピリットは切らしています」と答える。
 さらに、長いギターソロの直前の最後のフレーズでは、ホテルから逃げようとする男に夜番が「このホテルには、いつもでチェックインできますが、ここから二度と出ることはできません」と言い放つ。

 歌詞についてあれこれと解説するのは野暮なことは承知で、ぼくなりの解釈を書いてみると、イーグルスは「ラブ&ピースに代表される精神や魂は1969年に捨ててきてしまった。夢のカリフォルニアなんかありえない。ここでは怠惰な生活が死ぬまで、ただただ続くだけなんだ」というような行き場のない閉塞感を、この唄で表現したかったのだろう。
 そして、その閉塞感は、さらに重くなって、今でも続いているような気がする。

 イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットにより、アメリカを代表するバンドになったが、次のアルバムの「ロング・ラン」をリリースした直後に解散する。そして、解散後のインタビューでグレン・フライは「オレたちは『ホテル・カリフォルニア』で言いたかったことを、すべて言い尽くしてしまったんだ」と述べている。


 今から十数年前、ぼくは高校生の頃にあこがれたロサンジェルスを初めて訪れた。巨大な空港に降り立ち、バスに乗って、ダウンタウンへと向かう。11月だというのに、日中はTシャツで過ごせるLAのサラリとした生暖かい空気は、どこか人工的で現実味に乏しかった。

 スモッグがかかった空がぼんやりとオレンジ色に染まる頃、ぼくはリトルトーキョーの中にある日本語が普通に通用するホテルにチェックインした。荷物をベットに放り投げ、ベットサイドのラジオをつけると、ヒューイ・ルイスのしわがれた声がフェードアウトして「ホテル・カリフォルニア」が流れてきた。あまりのタイミングの良さに、鳥肌がたった。
 そして「ホテル・カリフォルニア」のサビのフレーズを口ずさみながら、窓を開けると、遠くで乾いた銃声が聞こえた。ラジオからはあのギターソロが流れていた。その時、ぼくは「あっ、ホントにLAにやって来たんだな」と、ようやく実感した。
 「ホテル・カリフォルニア」の歌詞のホントの意味が分かったのは、この旅の後のことである。

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| ロックの名盤 | 22:50 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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カーペンターズの心の闇

GoldGold
The Carpenters


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 ぼくの洋楽初体験は「ビートルズだった」といくつかのエントリーで書いてきた。でも、正直に白状すると、ホントの洋楽初体験はカーペンターズである。
 カーペンターズは1972年、1974年、1976年と3度来日しているが、確か1974年の武道館でのコンサートはTV放送され、それを見て「うわー、きれいな唄だなあ」と、まだ小学生だったぼくは感激したのだ。
 それまで、野口五郎の「オレンジの雨」が大好きだった少年にとって、ロックはまだうるさい音楽で不良の聴くものだった。でも、カーペンターズの音楽は分かりやすかったし、メロディもきれいだった。
 しかし、レコードを買うほどのおこずかいはなく、AMラジオから流れてくるカーペンターズの唄に必死に耳を傾けた。英語の唄を意識的に聴こうと思ったのは、カーペンターズが初めてだった。

 そういえば、中学生の時、転校していく同級生の女の子から「イエスタデイ・ワンス・モア」のシングルレコードをもらったこともあった。
 ぼくはその女の子に、密かに好意を持っていた。でも、告白するまでには至らず、転校してもう会えなくなる日にカーペンターズのレコードをもらったことで「オレのこと、嫌いじゃなかったんだなあ」と分かって、うれしくも悲しいセンチメンタルな気持ちになった。だから、今でも不意に「イエスタデイ・ワンス・モア」を聴くと、胸がキュンとなる。

 ちょうど1週間前の金曜日、風呂上りにテレビをつけると、カーペンターズの特集番組が放送されていた。そして、ぼくは偶然つけたテレビの画面に心を奪われた。「カーペンターズ−スーパースターの栄光と孤独」と題されたNHKの番組では、数々の裏話と共に、彼らの悩みや心の闇の部分も描かれていて、清潔で無害だと思っていたカーペンターズの音楽に、意外にもホンネの発露や心の闇が潜んでいたことが分かったからだ。

 例えば「We've Only Just Begun」はもともと銀行のCMソングで、「Top of the World」はスパースターに登りつめた彼らが、プライベートジェットで世界をツアーできるようなったときの高揚感を表現した唄だったらしい。
 しかし、過酷なコンサートツアーや様々なプレッシャーから、兄のリチャードが睡眠薬依存症(「眠るために飲んだもので、コカインなどのドラックは使わなかった」とインタビューで言い切っていたところが、実に彼らしい)になり、1979年から約2年間の活動停止。
 その後に妹のカレンが摂食障害、拒食症になり1983年に32歳の若さで死去したことは、未だに記憶に新しい。

 生前にカレンがもっと気に入っていた曲は、1995年にテレビドラマの主題歌になり、日本でのカーペンターズのリバイバルブームのきっかけになった「I Need To Be In Love」(邦題は「青春の輝き」)だったいう。
 サビの歌詞は「私は恋をすべきなのかも、でも時間を無駄にしていた、不完全な世界で完璧を求めたしまったの」といったような意味で、ここに自分たちらしい音楽を真剣にクリエイトしながらも、普通の結婚と普通の暮らしを切望していたカレンのホンネがある。それゆえに、彼女はこの唄が好きだったのだろう。

 時に過酷で、ダーティーな部分もあるアメリカの音楽業界の中で生き抜いていくには、カーペンターズはあまりに繊細で清潔だった。そして、スパースターに君臨し続ける体力にも欠けていたのかもしれない。
 しかし、彼らの音楽は、今でもぼくの心を打つ。それは、音楽を真摯に考え、ロックにはない表現方法で、さりげなくホンネを唄っていたからだと思う。

| ロックの名盤 | 10:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本語のカバー曲が素晴らしい「ミュージックリーム」

 このところ、かなりテンパッた仕事を抱えて、パソコンの前で四苦八苦する日々を送っている。そんな時、手助けをしてくれるのが音楽。聴いているうちに、少しずつテンションが上がってきて、なんとか先に進めることが多いからだ。
ミュージックリームミュージックリーム
Fried Pride


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 先月末から、仕事中にCDプレイヤーのトレイにのせる回数が一番多いのがFried Prideの「ミュージックリーム」。少し前にも書いたが、このアルバムは6枚目にして初の日本語のカバー曲が入っている。ぼくはそれに違和感があり買わずにいたが、それは完全な誤解だった。
 とりあえず、ジャズというくくりの中で活動してきたFried Prideにとって、これまで何曲もカバーしてきたロックナンバーよりも、日本語の曲を収録することのほうが冒険だったはず。でも、これが実に良いのだ。

 収録されている日本語の曲は「リバーサイドホテル」「接吻KISS」「Midas Touch」「永遠に」の4曲。どれも素晴らしいカバー曲に仕上がっているが、中でも好きなのが「永遠に」。この曲になると、思わずキーボードを打つ手が止まり、ついつい聞き惚れてしまう。いや、正直に書くと鳥肌がたつ。最初に聴いたときは涙もでた。「いい歳して、これはなんだ?」と自分でもおかしいのだけれど、この曲はやけに胸をキュンとさせる。

 前作の「two.too」は2人だけでレコーディングされたシンプルなアルバムだったが、今回はアレンジもポップで、ラップまで挿入されている曲もある。しかし、それが不自然だったり、装飾過剰だったりするわけではなく、Fried Prideが新たなページをめくったことを感じさせる。たとえラップが入ろうとも、Fried Prideの音楽として成立しているのは、Shihoの唄のうまさと声の力のせいだろう。
 デビュー当時から「ずば抜けて、唄のうまい人だなあ」と思っていたが、今回のアルバムのShihoは、時に凄味さえもちらつかせる。もちろん、横田明紀男のさりげに超絶なギターは相変わらず素晴らしいのだが「ミュージックリーム」の主役は、あくまでもShihoの声だ。

 Fried Prideは「和製タック&パティー」などともいわれてきたが「ミュージックリーム」はそんなイメージを吹き飛ばす1枚。これまで必ず収録されてきたジャズのスタンダードナンバーがないのも良い。音楽のジャンル分けに大した意味はないと思っているが、日本語あり、ポップでファンキーな「ミュージックリーム」で、彼らはジャズという窮屈なジャンルから抜け出せたのではないだろうか。
 今年の半ばにはリリースされるはずの次のアルバムが、今から楽しみだ。 

| ロックの名盤 | 11:54 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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一目惚れというか一聴惚れのコリーヌちゃん

Corinne Bailey RaeCorinne Bailey Rae
Corinne Bailey Rae


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 声は人を好きになるときの重要なファクターである。そして、究極の楽器は人間の喉ではないか。そんなことを考えていたら、出会っちゃったのが、コリーヌ・ベイリー・レイ。ぼくはコリーヌちゃんの声に、もうメロメロだ。

 たまたま東芝EMIのホームページを見ていたら、目にとまったのが、コリーヌちゃんの小さなバナー。それをクリックすると出てきたのが、この特集ページ
 ここでデビューアルバムの1曲目「LIKE A STAR」のビデオを見て、その容姿に一目惚れ。ついでに声にも一聴惚れ。これほどまでに心をわしづかみにされる声に出会ったのは久しぶり、いや初めてのことかもしれない。
 そのままアマゾンに移動して、速攻でアルバムをオーダー。届いたデビューアルバムをここんとこ欠かさず1日数回は聴いている。

 上でリンクした特集ページに行けば、ビデオと視聴用の音源があるから、どんな人でどんな声なのかは簡単に分かってもらえると思う。その声にピンときたなら、このアルバムは絶対におすすめ。
 コリーヌちゃんについては、色々と書きたいのだが、ホントに好きになってしまうと逆に書けないものなんだなあ。とにかく、ぼくはこんな声に出会えて、幸せだ。

| ロックの名盤 | 22:29 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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ボニー・レイットに夢中

 10月に入り、北海道もすっかり秋深し。と書きたいところだが、今年はどうも様子が違う。やけに暖かいのだ。
 今日の昼間などは、仕事の合間にTシャツ姿でギターを弾いていたし、いつもなら9月下旬から焚き始めるストーブにも、この秋はまだ火を入れていない。あと1カ月で雪の舞う日がやって来るとは、とても思えないのだ。
 それでも、陽が落ちるのが日に日に早くなり、秋は遅れながらでも深まっていく。そして、秋の夜長には、しっとりした音楽が聴きたくなる。

 ギターを弾き始めたせいもあるが、近ごろのぼくはボニー・レイットに夢中だ。彼女ほど、ストラトキャスターの似合う女性はいないと思う。ギターの腕前だって、女性というくくりを抜きにしても、かなりのもの。
 でも、ぼくが一番好きなのは、ボニー・レイットの歌声だ。その少しハスキーな声の中には、ブルースやソウルのスピリットが感じられる。でも、決して力んで唄うわけではなく、サラリと発せられる声の中に、確かな黒さがあるのだ。これには彼女の生い立ちも関係しているのだろうが、おそらく天性のものだと思う。
Takin' My TimeTakin' My Time
Bonnie Raitt


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 今日、紹介するのは、1973年にリリースされたボニー・レイットの3枚目のアルバム「Takin My Time」。まず、落ち着いた色合いのジャケットが秋にぴったり。中身も決して派手さはないが、ボニー・レイットの最高の歌声が味わえる1枚だ。
 中でも、特に好きなのが5曲目の「Cry Like a Rainstorm」。少し内省的な歌詞のミドルテンポのバラードは、秋にぴったり。「I Feel the Same」ではロウェル・ジョージの素晴らしいスライドギターが聴けるし、ジャクソン・ブラウンの「I Thought I Was a Child」も名曲。
 ラストの「Guilty」まで、しっとりした黒さのボニー・レイットの歌声を満喫できる「Takin My Time」は、この時期にピッタリの名盤だと思う。 

| ロックの名盤 | 23:06 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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1970年、ワイト島のTHE・WHO

 丈の短い白いつなぎから赤いソックスをちらつかせながら、腕をブンブン振り回してコードをかき鳴らすギタリスト。
 にしきのあきらが着ていたようなピラピラのいっぱい付いたジャケットのボーカリストは、テープをグルグル巻きにしたマイクをヨーヨーのように回す。
 骸骨が描かれたつなぎというわけの分からん格好のベーシストは、音数の多いベースをただひたすらに刻み続ける。
 そして、いかれた目つきのドラマーは、ほとんどオカズといってもいいフレーズを連発しながら、バンドのビートを奇跡的にキープする。
 今、「Gyao」で視聴可能な1970年のワイト島にあけるTHE・WHOのライブ。その時のメンバーのルックスを表現すると、こうなる。

 はっきりいって、怪しい。思いっきり、変だ。何の統一性もない。しかし、ぼくはTHE・WHOこそが、世界一のビジュアル・バンドだと思っている。それは男前とか、見かけが良いという意味ではなく、映像が伴ってこそ、ホントのすごさが分かるバンドだからだ。

 高校1年ときにテレビで放映された映画「ウッドストック」を見て、ぼくはTHE・WHOにノックアウトされた。それはあまりにパワフルで圧倒的なステージだった。
 そして、ギブソンのSGを腕をブンブン振り回しながら弾くピート・タウンジェントにあこがれて「かっこいい!すげえ!」と通称風車奏法を早速真似してみた。しかし、あれはとてつもないリスクがつきまとう奏法だ。腕の回し方を少し間違えると、音が出ないどころか、ボディやブリッジに手をぶつけて打撲や出血をしてしまうのだ。
 実際にピート・タウンジェントもブリッジに手をぶつけて、骨が露出するほど深いキズを負い、大量出血。ステージから救急車で病院に直行、翌日からはギブスにピックを装着して、ツアーを続行したことがあったらしい。

 弦をかき鳴らさず、ボディから少し離れた安全な場所で、ステージアクションとして腕を回すギタリストをたくさんいるが、風車奏法でリズムをキープし続けたのはピート・タウンジェントしかいないのではないか。実際にワイト島のライブでも、彼は要所要所で腕を回し、ビートを刻んでいる。
 よーく考えれば、無意味なほどにリスキーな奏法だが、THE・WHOにとっては重要なステージアクションなのだ。

 それは他のメンバーにもいえることで、ロジャー・ダルトリーのマイクぶん回しも、キース・ムーンのおかずばっかりのドラムのフレーズも、ジョン・エントウイッスルの無闇に音数の多いベースラインも、明らかに過剰サービスである。しかし、その連発がTHE・WHOの魅力であり、時に彼のステージを奇跡をもたらした。この過剰サービスが見えてこないレコードやCDでは、ホントのTHE・WHOの凄さは分からないと思うのだ。
 「Gyao」でTHE・WHOのワイト島ライブが見られるのは8月1日正午まで。まだの人は急げ! 

Who's NextWho's Next
The Who


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 レコードやCDだけではTHE・WHOは分からないと書いたばかりだけど、映像を見て彼らの凄さを知ったら、最初に聴く1枚として「Who's Next」をおすすめする。
 THE・WHOというと「トミー」や「四重人格」といった重厚なロック・オペラがおすすめのアルバムとされる場合が多いけれど、この2枚はちょっとヘビーだ。もちろん、名作であるが、歌詞の意味をある程度分からないと理解できない部分も多く、少々敷居が高いのだ。

 実は1971年にリリースされた「Who's Next」も「ライフ・ハウス」というロックオペラをベースとしている。しかし、あまりに壮大な構想過ぎて挫折。「ライフ・ハウス」のために作られた曲が「Who's Next」の一部として収録されることになった。
 1曲目の「Baba O'Riley」のイントロからワクワクし、ライブでもキメの曲であるラストの「Won't Get Fooled Again」まで、無駄な曲なしに一気に駆け抜ける感じは、彼らのサービス過剰のステージに通じるものがある。
 現在「Who's Next」には7曲ものボーナストラックが追加されている。ぼくはどちらかというとボーナストラック否定派だが「Who's Next」のは悪くないと思う。

| ロックの名盤 | 10:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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HDDのクラッシュ

 長らくのご無沙汰でした。2週間以上のブランクが空いてしまったのは、ワールドカップを観戦にドイツに行ってきたからです。というのは大きなウソで、前のエントリーを書いた直後から、久しぶりに札幌、東京方面へと出張に行ってきた。
 そして、先週の日曜の夜に家に戻り、久しぶりにディスクトップPCのボタンを押すと、反応がない。少し前から「少し音がでかくなったかな」と感じていたハードディスクがクラッシュしてしまったようだ。

 これまで使ってきた数台のパソコンでは、ハードディスクの増設をしたことはあっても、トラブルの経験はなかった。今使っているのは買ってからまだ2年ちょっとなので「少し早過ぎやせんか」と怒りそうになるが、交換以外に手はなさそう。近頃は爆発炎上するPCもあるらしいから、それよりはまだましか。
 「どうせ中身をいじるなら、この際にメモリも増設して、書き込みの早いドライブも追加しちゃえ」と、次の日にPCを借りてネットショップで必要なパーツをオーダー。金曜日にパーツが届き、ようやく組み終わって、久しぶりに自宅からネットに接続できた。

 復活したPCはメモリを倍にしたのと、OSをクリーンインストールしたせいでサクサクと動く。新しいハードディスクのデータ転送量も速いのだろう。軽快な動作を取り戻したPCを使っていると「最初はこんなに軽るかったんやなあ。これはこれで良かったのかも」とも思う。
 ハードディスクの異音を感じた時に、とりあえず大事なデータなどはバックアップを取ってあったので、ファイル喪失の被害は最小限で済んだ。しかし、ブラウザのブックマークの保存を忘れていたり、愛用してきたシェアウエアのシリアルナンバーに分からないものがあったりもする。さらに、いくつかのネット上のサービスのIDやパスワードなどが思い出せないままだ。
 まあ、普段あまり使わないものだから忘れちゃうわけで、必要があれば再登録をすればいいのだが、デジタルの時代になっても、一番確実なのはメモをとっておくというアナログな行為なのかもしれない。

 出張とハードディスクのクラッシュで、約2週間に渡ってほとんどPCに触れず、ネットもなし。そんな生活は久しぶりだったが、これがなかなか新鮮。本はたくさん読めたし、映画をゆっくり見られたから、なんだか1日の時間が長かった気がする。「いつもPCの前で、たくさんの時間を使っていたんだなあ」と痛感してしまった。たまにはPCなし、ネットなしの生活も悪くないもんだ。
 
 そんなわけで、今日の1枚はハードディスクのクラッシュにちなんで、クラッシュの「ロンドン・コーリング」。そのまんまのチョイスだが、これは昔から聞き続けている1枚だ。

London CallingLondon Calling
The Clash


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 実は「ロンドン・コーリング」のジャケットのデザインは、エルビス・プレスリーのデビューアルバムのパロディである。

Elvis PresleyElvis Presley
Elvis Presley


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 ロゴのデザインと色がほぼ同じ。シャウトするエルビスとベースをぶっ壊すポール・シムノンの写真も同じくモノクロで、異なるアングルの中にも共通のものを感じる。
 エルビスへの深いリスペクトが伝わってくる「ロンドン・コーリング」のジャケットも、単にパロディに留まらず、ロックを感じさせる優れたデザインだと思う。

| ロックの名盤 | 11:11 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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追悼、ビリー・プレストン

 昨年からあまり具合が良くないことはネットのニュースで知っていたが、ビリー・プレストンが亡くなった。詳細はこちらで。享年59歳、あまりに若すぎる死である。

 彼のことはかなり昔から知っていて、中学生の時に映画「レット・イット・ビー」を初めて見た時に「うしろでオルガンを弾いている、この人は誰?」と思ったのが、最初の出会い。
 もちろん、ビリー・プレストンはビートルズ最後のライブ「ルーフトップ・セッション」に参加しているが、あの時に寒風の吹く屋上にいた5人のうち、3人がもうこの世にいないとは・・・・。

神の掟(紙ジャケット仕様)
ビリー・プレストン
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 レイ・チャールズのバックバンドなどに参加してキャリアを積んでいたビリー・プレストンは、ジョージ・ハリソンに誘われて、1969年にアップルレコードからソロアルバムをリリースする。それが上の「That's The Way God Plannd It」(日本盤のタイトルは「神の掟」)だ。
 このアルバムにはエリック・クラプトンやキース・リチャードもゲストとして参加しているが、この中でクラプトンは目立たないながらも、その後の彼の進む道を暗示するような、とても渋いプレイを聞かせている。

 昨年、ようやくDVD化された「バングラデシュのコンサート」にも、ビリー・プレストンは参加。動画サイト「YouTubeh」では、この時のパフォーマンスの中から「That's The Way God Plannd It」が見られるが、ファンキーなプレイは素晴らしいのひと言だ。
 70年代にビリー・プレストンは、ローリングストーンズのレコーディングとツアーに参加。中でも「Black and Blue」では、ほぼ全編に渡って彼のキーボードプレイが聴ける。

 最近ではクラプトンのツアーに同行し、2001年のツアーを収録したDVD「ワン・モア・カー、ワン・モア・ライダー」では、久しぶりにビリー・プレストンの元気な姿を見られただけに、早すぎる死が悔やまれる。合掌。

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「シルク・ディグリーズ」は大人のロック?

シルク・ディグリーズ(エクスパンディッド・エディション)シルク・ディグリーズ
ボズ・スキャッグス


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 かつて、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)なる言葉があった。今でいうところの「大人のロック」ってやつである。基本的にキッズ・ミュージックだったロックが、1970年代に入って大人も聴ける音楽に進化(退化かも?)したものが、AORと考えれば分かり易いだろうか。
 ちなみ、AORというのは日本だけで通用する用語で、アメリカではそんな呼び方やジャンルはなかったらしい。

 そんなAORの代表的なアルバムのひとつが、ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」だ。
 ぼくがこれを初めて聴いたのは、二十歳の時だった。それまで、ビートルズやストーンズ、ツェッペリン、イーグルスなどの王道的なロック(パンクにはそれほど夢中になれなかった)を聴いてきたが、二十歳にになって「そろそろ大人っぽいものを聴くべきやなあ」ってことで「シルク・ディグリーズ」を買ったと思う。

 まず「シルク・ディグリーズ」はジャケットからして大人である。夕暮れの港のベンチ。赤いマニキュアをした手が見える女性に背を向けて座るボズ。裏を返すとボズはベンチから居なくなり、水平線の上にヨットが見える。どこか意味深なジャケットは、お金と時間はかかっていないだろうけれど、とてもよく出来ている。
 肝心の中身だが、意外にもアップテンポな曲が多く、中には少々泥臭いサウンドの曲だってある。ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイドという数年後にTOTO(ボズのバックバンドとして来日したメンバーがトイレでいつも目にする文字が気に入り、自らのバンドに「TOTO」と名付けたのは有名な話)を結成するメンバーを中心にしたバックバンドの音はタイトで、特にアルバム全編をリードするジェフ・ポーカロのドラムは心地良いのひと言。「シルク・ディグリーズ」はAORとは名ばかりで、正統的で上質なウエストコーストロックだと思う。

 「シルク・ディグリーズ」をAORの代表的なアルバムに押し上げたのは、ラストの「We're All Alone」の存在が大きいかもしれない。確かに名曲だと思うけれど、甘ったるすぎて、ぼくは毎回聴くにはなれない。メロディーも歌詞も、これ以上はないくらいに激甘。その甘さはポール・マッカートニーの「My Love」以上で、カロリー高過ぎ。
 同じバラードでも、レコードではA面ラストだった「Harbor Lights」は名曲中の名曲。「おかあちゃんは東京ローズ。だから、ぼくは生まれついての放浪者」で始まる曲はスパイスが効いたラブソングだ。こっちのほうが、よっぽど大人のバラードではないだろうか。ぼくはバイクでフラフラとあてのない旅をしているころ、夕暮れに「オゥ、オオゥ、ハーバライトォ」と、この歌のサビをよく口ずさんだものだ。
 
 ボズ・スキャッグスは今でも好きでよく聴くけれど、どう見てもハンサムではない鼻声で歌う馬面のおっさんが、かつて「都会的」とか「洗練されたサウンド」と言われていたのは、どうにも理解に苦しむ。むしろ、おしゃれじゃないところがボズ・スキャッグスの魅力ではないだろうか。スタンダード・ソングをアンプラグドなジャズカルテットをバックに歌う最近のアルバム「バット・ビューティフル」も、どこか土の匂いのするとても渋いアルバムだ。

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