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久しぶりに「サージェント・ペパーズ〜」を聴いた

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
ザ・ビートルズ


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 ぼくが一番最初に買ったビートルズのレコードは「アビイ・ロード」だった。その時の話は10月に書いた。そして、2枚目に選んだ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、翌年のお正月にお年玉を握りしめてレコード屋に買いに行った。
 当時の「サージェント・ペパーズ〜」はロックの名盤の筆頭格、ビートルズの金字塔と評価されるアルバムで「これはきっと特別な音楽だ」とロックの初心者に思わせるだけの重みがあった。
 ワクワクしながら手にした「サージェント・ペパーズ〜」だったが、有名人のコラージュで構成されたジャケットは派手なのに、ちょっとおどろおどろしい。そして、見開きの写真のビートルズのポートレートも、目つきがかなり怪しい。今なら「クスリで目がぶっとんでる。サイケだなあ」で済ませられるが、中学生の頃はそんなことは知らない。
 レコードの見かけからして、かなり異質なものを感じた「サージェント・ペパーズ〜」は、レコードから出てきた音も、今まで聴いてきたビートルズとは違う印象があった。きらびやかなサウンドなのに、何だか少し怖かったのだ。

 昨日、25年以上前の第一印象を思い出しながら、久しぶりに「サージェント・ペパーズ〜」を聴いた。ビートルズのアルバムには1枚、1枚に違った肌触りがあるけれど、やっぱり「サージェント・ペパーズ〜」には特別な何かがある。
 発売日が1967年6月で、ヒッピーの全盛期、サマー・オブ・ラブとも呼ばれる時代の直前のリリース。サイケデリックもヒッピーも今では過去の特殊な風俗かもしれないが「サージェント・ペパーズ〜」は、そんな時代を象徴するアルバムだった。ぼくはリアルタイムで「サージェント・ペパーズ〜」を聴いたわけではないが、きっと67年初夏の空気感の中で聴くこのアルバムは、今とは違った特別な音がしただろう。
 さらに、無視できないのはドラックの存在。ビートルズはデビュー前からドラッグを試していたらしいが「サージェント・ペパーズ〜」にはLSDの幻覚による影響も感じられる。
 「サージェント・ペパーズ〜」はこれ以外に考えられない順番で曲が並べられているが、出だしの2曲が強烈。「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band〜With a Little Help from My Friends」のメドレーでアルバムの世界に引きずり込まれ、「Lucy in the Sky With Diamonds」で空を飛ぶ。
 レコードの場合はA面の終わりで一息つけたが、CDの場合はいつの間にか「A Day in the Life」の最後のジャーンという音が鳴り響いている。丁寧に作り上げられているのに、スピード感のある不思議な音の世界が「サージェント・ペパーズ〜」だ。

 ぼくは「サージェント・ペパーズ〜」がビートルズの最高傑作だとは思わない。曲のクオリティーでいうと、これより上のアルバムはある。それでも「サージェント・ペパーズ〜」は特別だ。ヒッピーの全盛期、サイケデリックな時代を象徴するアルバムだからこそ、未だに不思議な浮遊感があるのだろう。でも、ホントの音の感触はこれを1967年夏に聴いた人にしか分からない気がする。
 今でも確かに言えるのは、デビュー曲の「Love Me Do」からわずか5年弱で、こんなところまで来てしまったビートルズの成長がとんでもなかったこと。そして、ぶっとんだアルバムの中で常に覚醒しているポールのベースラインの凄さである。つまり「サージェント・ペパーズ〜」の土台を支えているのはポールで、このアルバムからビートルズの主導権がジョンからポールに移り変わったことを象徴している。
 「サージェント・ペパーズ〜」はある種の頂点であると同時に、ビートルズの無邪気な時代の終わりを告げたアルバムでもあった。ここから彼らは少しずつ解散への道を歩み始めるのだ。

| ビートルズとその周辺 | 14:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ビートルズとシングルレコード

 普段はあまりテレビを見ないが、先週は「建築耐震強度偽装問題」の国会証人喚問の生中継をすべて見て、さらにニュース番組も追いかけた。ある種、今の日本を象徴する事件だと感じるからだ。
 コストをギリギリまで削減して、少しでも儲けをだす。資本主義の当たり前のルールかもしれないけれど、やり過ぎると悪に変わる。きっと「分かっちゃいるけど、やめらなかった」のだろう。
 最近、起こった企業がらみの様々な不祥事から分かる教訓は「不誠実な商売は短期的には利益を上げることができても、長い目で見ると大損をする」だと思う。でも、この手の事件は今後も続くんだろうなあ。

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 話は急に変わるけれど、ビートルズは原則としてシングルで発表した曲をアルバムには収録しなかった。ファンに同じ曲を二度買わせたくなかったからだ。ただし、この誠実な商売はイギリス国内のみの話。アメリカや日本などでは独自にアルバムを編集し、勝手にシングルをリリースした。だから、ぼくがレコードでビートルズを聴き始めたころは、オリジナル、アメリカ盤、日本編集盤がレコード店のラックに入り混じっていた。
 しかし、アルバムのCD化の時に収録曲がイギリスでリリースされたオリジナル盤に統一され、シングルでしか聴けない曲は「パスト・マスターズVol.1」と「パスト・マスターズVol.2」の2枚に分けて収録された。

 シングル曲の寄せ集めた「パスト・マスターズ」は、意外にも散漫な印象がない。
 ヒットした曲のオンパレード、これをB面するかという名曲「Thank You Girl」「I Call Your Name」「Rain」などに加えて、「オールディーズ」という編集盤でしか聴けなかったジョンのシャウトが素晴らしい「Bad Boy」、インド音楽に傾倒したジョージのラガーロックの傑作「The Inner Light」、鳥が羽ばたく音が入っているのでバードバージョンと呼ばれる「Across the Universe」など、曲のクオリティが高いからだ。「パスト・マスターズ」は単なる編集盤ではない。オリジナルアルバムではないけれど、ぼくの密かな愛聴盤だ。

 よくよく考えれば、ビートルズが「She Loves You」や「I Want to Hold Your Hand」をアルバムに入れなかったのは、すごいことだ。リリースした当時は人気の絶頂期、出せばなんでも売れただろう。シングル曲をアルバムに再収録しても、誰からも文句はでなかったはずなのに、あえて誠実な商売を貫いたのは、ホントにえらいと思う。
 デビューからの40年以上が過ぎても、未だに聴き続けられ、新たなファンを増やしているビートルズ。その理由は曲の魅力だと思う。そして、曲のクオリティを支えていたのは、彼らの溢れ出る才能と「音楽に対しては手抜きをしない、できる限りのことをする」という職人的な姿勢ではなかっただろうか。
 やっぱり「誠実な商売は長続きする」のである。今でもビートルズから学ぶことは多い。

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| ビートルズとその周辺 | 14:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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あれから25年

 ジョンが亡くなってから25年が経つ。今でもあの日の記憶は鮮烈に残っている。
 ぼくは高校三年生で、二階にある部屋で期末テストの勉強をしていると、母親が「あんたの好きなジョンなんとかが死んだらしいで。テレビで言うてるわ」と階段の下から声をかけてきた。たちの悪いジョーク、ありえない話だと思ったが、あわてて階段を下りると、確かに画面ではニュース速報のテロップが流れている。
 テレビを通じて次第に分かってくる状況。ロックなんてまともに聴いたことはないくせ訳知り顔で的外れのコメントをするワイドショーのキャスター。ジョンの追悼番組と称して「イエスタディ」を流すラジオ。すべてに腹が立った。
 ぼくは悲し過ぎてジョンの曲を聴く気にもならなかった。今なら「ロックスターらしい死」とも思えるが、家族が寝静まってから布団にくるまって一人で泣いた。他人の死であれだけ涙を流したことはない、今後もあんなことはないと思う。

 しかし、心の痛みは時間が解決してくれる。ぼくは二十代から三十代にかけて、ビートルズやジョンの曲をあまり聴かない時間を過ごした。十代の頃はロックンロールが先生だったが、バイクや旅、アウトドアでの遊びがそれに取って代わったのである。
 そして、再びジョンのことをよく思い出すようになったのは、子供が産まれて主夫として生活するようになってからだ。おむつを替えながら「子育て中の5年間、ジョンは何を考えていたのかな」と思ったし、ショーンにロックンローラーでもある自分の背中を見せたくて再起した時の気持ちも分かるようになった。
 ジョンが背中を後押ししてくれたので始められた主夫生活の中に、音楽は再び深く入り込むようになり、子供をあやしながら聞くビートルズはとても新鮮だった。

 ジョンがぼくに教えてくれたことは「愛と平和」の大切さではない。簡単に書くと「キミはキミらしく好きなように生きろ。そして、不良であれ」ということだ。あれから25年、ぼくはジョンより年上になってしまったけれど、彼の背中は大きくなるばかりだ。
SIGHT (サイト) 01月号 [雑誌]SIGHT (サイト) 01月号 [雑誌]


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 最後にジョンに関する雑誌の紹介を。
 「SIGHT」の最新号の特集はアメリカの「ローリング・ストーン」誌が選ぶ「究極のロック100曲」。この中で「イマジン」が3位に選ばれている。曲は割と無難な線で選ばれ、翻訳された記事にも目新しいものは少ないが、20位までの曲に追加された渋谷陽一とピーター・バラカンのコメントが面白い。
 「イマジン」についてのコメントでは渋谷陽一は「他にもっといい曲がある」と言い切るが、ピーター・バラカンは「これは共産主義というか理想主義を唄った曲。詩の中の言葉がとっても好き。若い頃は誰でも理想主義的な考えをするけれど、年をとるにつれ妥協を覚えて、シニカルになっていく。ぼくは未だにこうだけど、最近はこれでいいんだと思うようになった」というようなことを言っている。
 どちらの意見にも納得できるけど、ピーター・バラカンの話は「それがロックンロールだよな」と思う。
 「SIGHT」には没後25年ということで、死の3日前にダコタアパートでおこなわれたインタビューも掲載されて、こちらもなかなか興味深い内容だ。

| ビートルズとその周辺 | 14:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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さり気にポールの才能が爆発する「バック・トゥ・ジ・エッグ」

Back to the EggBack to the Egg
Wings


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 これまでこのBlogではジョン・レノンやビートルズのことは書いても、ポール・マッカートニーについてはあまり触れてこなかった。もちろん、嫌いではない。未だにビートルズの名曲の数々を聴くと、ポールは天才的なメロディーメーカーだと思う。
 ビートルズを聴き始めた頃、まずポールのファンになった。ロック初心者にはジョンよりもポールのほうが分かりやすかったからだ。ソロアルバムにしても「ジョンの魂」よりも「バンド・オン・ザ・ラン」のほうが好きだったし、アルバム以外にも「アナザー・ディ」「マイ・ラブ」「ハイ・ハイ・ハイ」「007死ぬの奴らだ」あたりのシングル盤も揃えた。

 しかし、いつしかポールと距離を取るようになった。ちょうどパンクが出てきて、シンプルで勢いのあるロックばかり聴いていると、ポールの曲は時に甘すぎる砂糖菓子ようで、刺激が感じられなくなったのだ。
 さらに決定的な出来事があった。1980年の大麻所持による来日公演中止だ。チケットも完売し、成田空港まで来たのに、税関で大麻所持が発覚して強制送還。待ちわびた来日公演はあっけなく中止になった。ファンとしてみれば「ポール、何てことをするんや!苦労してチケットを手に入れたのに」である。
 おまけに直後にリリースされた「McCartney II」には「FROZEN JAP(冷たい日本人)」なんて曲があって、ポールのことがますます分からなくなってしまった。以来、新曲はラジオなどで耳にしながらも、ポールとは微妙な距離を感じたままなのだ。

 そんな個人的な感情は抜きにして、未だに好きなアルバムが「Back to the Egg」。ウイングス名義ではラストアルバムになり、セールス的にも失敗に終わったが、内容的には悪くない。いや、これは隠れた名盤だ。
 リリース当時の売りはピート・タウンゼンド、デイヴ・ギルモア、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ、ロニー・レインなどが参加したロックミュージシャンによるオーケストラの「ロケストラ」による「Rockestra Theme」と「So Glad to See You Here」が収録されていることだったと思う。
 しかし「ロケストラ」は少し期待外れだった。あくまでもロックオーケストラであって、ピート・タウンゼンドのぶち切れたギターソロやジョン・ボーナムのヘビーなドラミングなど、個人のインタープレイが楽しめるわけではないのが残念なところ。

 でも、曲自体はポールのソロアルバムの中でも粒ぞろい。ぼくは「Band on the Run」にも匹敵するのではないかと思っている。中でも好きなのが「Arrow Through Me」。曲に漂うなんともいえぬ浮遊感がたまらない。
 さらに良いのが「After the Ball〜Million Miles」と「Winter Rose〜Love Awake」のメドレー2連発。ここが「Back to the Egg」の一番の聴きどころかもしれない。ポールの才能がさり気に大爆発しているところが、ホントに素晴らしい。

| ビートルズとその周辺 | 11:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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28年前、誕生日に買った「アビイ・ロード」

Abbey RoadAbbey Road
The Beatles


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 初めて「アビイ・ロード」を買った日は、今でもはっきりと覚えている。1977年10月11日、つまり28年前の今日だ。
 実は今日はぼくの誕生日。43歳にもなると誕生日はそれほどうれしい日ではない。でも、ビートルズがレコードデビューした1962年に生まれて、ジョンとは2日違いの誕生日だけど星座と血液型が同じなのが密かな自慢だ。

 ぼくがビートルズが好きになったは1977年の春休みにテレビで見た映画「レット・イット・ビー」がきっかけ。ムッシュかまやつがナレーションをしているという、とんでもないバージョンの「レット・イット・ビー」だったけれど、ビートルズが急に好きになった。
 そこから、熱病にかかったように毎日ビートルズを聴き続ける日々が始まった。当時、LPレコードは高価で2500円もしたので、中学生がおこずかいで手軽に買えるものではなかった。500円のシングルレコードを二ヶ月に一枚くらい買い、あとはラジカセ(ステレオではなくモノラル)で、AMやFMでオンエアされるビートルズの曲を手当たり次第に録音しまくった。また、古本屋でビートルズの本を何冊も買い、彼らのバイオグラフィーやレコードについて学んだ。

 そして、ようやくやって来た誕生日。ビートルズのLPレコードをプレゼントしてもらうつもりだったが、どうしても自分で買いに行きたかったので、父親から手渡された千円札3枚を手にレコード店へ走った。
 いつもは遠慮がちにながめるだけのLPレコードのラックの前に立ち、一枚一枚引き出してゆっくりと品定めする。実は買うレコードは決まっていた。店に入る前から「アビイ・ロード」を買うつもりだった。「アビイ・ロード」を選んだ理由は、ラジオではまず流れないB面の「You Never Give Me Your Money」で始まるメドレーを聴きたかったからだ。でも、あこがれのビートルズのレコードを時間をかけて選ぶふりをしたかった、ジャケットをじっくりとながめたかったのだ。

 おまけにビートルズのポスターをもらって、大喜びで家に帰る。そして、ジャケットから黒い紙のインナースリーブに入ったレコードを慎重に取り出し、プレイヤーにセットする。当時、家にあったのはプラスチック製のポータブルなレコードプレイヤーで、子供の頃によくソノシートを聴いたものだ。
 内蔵されたスピーカーから出てくる音は、とてもチープなものだったと思う。でも、あれほど感動的なビートルズは後にも先にもないだろう。


 ぼくが最初に買った「アビイ・ロード」はビートルズが最後にレコーディングしたアルバム。発売順では「レット・イット・ビー」が最後だが、ホントのラストアルバムは「アビイ・ロード」だ。
 プロデューサーのジョージ・マティーンの証言によると、ビートルズは「アビイ・ロード」が最後のアルバムになると確信してレコーディングをしていたらしい。既に空中分解状態で、グループとして機能していなかったビートルズ。しかし「アビイ・ロード」のために、最後の団結をみせたのだ。

 あとがき的な曲の「Her Majesty」はあるけれど、メドレー最後の「The End」は、ビートルズ自身が演出した正真正銘のエンド・マーク。「最後にひと言。キミが手に入れる愛は、キミが与える愛と同じ大きさ。愛とは自分で作り出すものなのさ」という歌詞で終わる「アビイ・ロード」は、ビートルズの幕引きにふさわしい傑作だ。

| ビートルズとその周辺 | 10:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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明日はジョン・レノンの誕生日

 明日はジョン・レノンの誕生日である。生きていれば65歳。しわくちゃのポールやすっかり頭が禿げ上がってしまったキースを見ていると、ジョンも白髪でしわが刻まれた顔になったのかなと想像してしまう。
 しかし、ぼくの中でジョンの時間は40歳で突然止まってしまっているので、年老いた顔は頭の中ではっきりとした像を結ばない。凶弾に倒れる直前のキリリとシェイプされ、すっきりとしたおだやかな顔のジョンがいつまでも微笑んでいるだけだ。

 実は、ジョンのソロアルバムを聴くのには勇気というか気合いが必要だ。とても、気楽に聴く気分にはなれない。あの事件は18歳の時の痛い思い出である。未だにそのダメージを引きずっているつもりはないけれど、ビートルズ解散後のジョンと向き合うのはなんだか気が重いのだ。
 でも、昨日の晩はジョンの誕生日が近いことあって、久しぶりに「ジョンの魂」を聴いてみた。リマスターされたミレニアムエディションがリリースされたこともあって、最近ではCDにボーナストラックが2曲追加されている。しかし、余計なおまけは不要。「ジョンの魂」は絶対に「Mother」で始まり「God」と「My Mummy's Dead」で終わらなければならない。
John Lennon/Plastic Ono BandJohn Lennon/Plastic Ono Band
John Lennon


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 「ジョン・レノン・ネイキッド」ともいえる「ジョンの魂」ほど、ジョンが自分自身をさらけ出したアルバムはない。ここにはビートルズのジョンもいなければ、ロックンローラーやラブ&ピースのジョンもいない。
 ジョンのギター、クラウス・ボアマンのベース、音数は少ないのにジョンの歌声に驚くほど献身的なリンゴ・スターのドラム。サウンドには余計な装飾がなく、歌詞もいたってシンプル。何をしてもポップであることが宿命だったビートルズ解散直後に、ジョンは極めてパーソナルでシンプルな内容のアルバムを作ったのだ。

 「ジョンの魂」は鐘の音に続いて「おかあちゃんが、どこかに行ってしまった」で始まる。「God」では「ビートルズなんて信じない、夢は終わった」と毒を撒き散らしながら、まだ甘い夢を見ているファンを蹴飛ばし、栄光の60年代にけじめをつける。そして「おかあちゃんは死んでしまった」という歌詞で「ジョンの魂」は終わる。
 ヒリヒリするほど痛切なアルバムだ。でも「Remember」が終わり、爆破音の後にかすかな音のピアノのイントロから始まる「Love」を聴いた時、救われた気がする。「愛と平和のジョン・レノン」は死後に作り上げられた偶像である。でも「Love」のような曲を作るのも、またジョンの本当の姿なのだ。

 ぼくは「ジョンの魂」を聴くたびに、ビートルズの解散にメンバーの中で一番のショックは受けていたのはジョンではなかったかと確信する。きっと、ジョンはビートルズではない裸の自分をさらけ出さないと前に進めなかったのだ。
 極めてパーソナルな内容のアルバムが傑作といわれ、ポピュラリティーを得たことにロックスターのジョンの凄さがある。しかし、10年後に起こった事件を考えると、それは同時に悲劇の始まりでもあったと思う。

| ビートルズとその周辺 | 10:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジョン・レノンと、同じ歳

Rock 'n' RollRock 'n' Roll
John Lennon


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 今年の誕生日を迎えるとジョン・レノンと同じ年齢、つまり四十歳になる。
 ぼくはビートルズをリアルタイムで追いかけた世代ではないけれど、ジョン・レノンは十代の頃のヒーローであり、アイドルであり、先生だった。彼は二十数年前にニューヨークで凶弾に倒れた時点から老いることはない。ただのロックスターを超えた存在と年齢的に肩を並べてしまうのは、なんだか妙な気分だ。

 亡くなった人の思い出は、時間が経つにつれ美化されていく。今やジョン・レノンも「愛と平和の人」と紹介されることが多い。しかし、ぼくの知っているジョン・レノンは港町の不良でマザコン、女好きでジャンキー、晩年はハウスハズバンド。そして、何よりもロックンローラーだった。
 ジョン・レノンは「いつも動き回って、いつも服を変えていく、これがベスト。すべては変化なんだ」と言った。これほどロックという音楽の本質を表した言葉はないし、彼ほど外見が変わったビートルズのメンバーはいない。デビュー当時と解散直前の写真では、まるで別人のようだ。ポール・マッカートニーの童顔にほとんど変わりがないことに比べると、その変貌ぶりは驚異的である。

 変わり続けることがジョン・レノンの生き様であり、ライフスタイルだった。過激な平和運動を展開し、ラブソングもたくさん書いたが、それらはジョン・レノンの一時的な志向でしかない。生涯を通して一貫していたのはロックロールという音楽のフォーマットの中で、何かを訴え続けたことだ。

 今、ぼくは北海道の外れでこうして雑文を書きながら、ハウスハズバンドをしている。正直に白状すると、変化を求めて北海道に移り住み、一日中子供のそばにいるのは、ジョン・レノンからの影響である。しかし、四十歳以降の年齢にジョン・レノンという水先案内人はいない。
 彼から学んだのは、変わり続けることの大切さとひとつのことを貫き通す勇気。この二つを胸に、これから先の歳を数えていこうと思っている。

「イーストサイド」06号に執筆したものを加筆して転載。

 〆切が迫った仕事を二本抱えてテンパイ状態。
 ゆっくりとBlogを書く余裕がないので、3年前に「イーストサイド」という雑誌に書いたジョン・レノンのことを転載します。

 ぼくはジョン・レノンよりも年上になってしまったけれど、この時の気持ちに変わりはない。ジョンがヨーコと離れ、ロスで荒れた生活をおくっている時に製作が開始された「Rock 'n' Roll」を聴くと「困った時、悩んだ時にジョンが戻っていく場所は、やっぱりロックンロールだったんだな」と思う。

 しかし、リマスターされてスッキリとした音になった「Rock 'n' Roll」を聴くと少し寂しくなる。確かに聴きやすくはなったけれど、ぼくはオリジナル盤の荒々しさを知っている。時に暴力的なシャウトやざらついた感覚がジョンのロックロールの魅力である。
 ソフトにリマスターされてしまい、刺々しさがなくなった「Rock 'n' Roll」からはヨーコのある種の思惑が感じられる。

 だまされちゃいけない。ジョンのホントの姿は「愛と平和の人」ではない。「ロックンローラー」だ。

| ビートルズとその周辺 | 11:12 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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「Rubber Soul」 アイドルでもアーチストでもなかったビートルズ

Rubber SoulRubber Soul
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 「初期のビートルズ」といういい方がある。それがどこからどこまでを指すのかは人によって解釈の違いはあるだろうが、ぼくはアルバムでいうと「プリーズ・プリーズ・ミー」から「フォア・セール」までが「初期のビートルズ」だと思っている。

 今回レビューする「初期のビートルズ」ではない「ラバーソウル」はジャケットからして、これまでのものとは違う。もはやアイドルとしてのビートルズではないし、微妙にゆがんだジャケットに写ったメンバーの顔には微笑みがない。

 ぼくはリアルタイムでビートルズを聴いたわけではないから、あくまでも想像だが「ラバーソウル」の一曲目「ドライブ・マイ・カー」がスピーカーから流れてきた時、当時のファンたちはぶったまげたはずだ。
 R&Bやソウルのテイストを感じるポールの「ドライブ・マイ・カー」は、これまでのビートルズにはなかった曲調。まるで「これについてこられなかったら、置いていくぜ」と居直ったかのような曲だ。
 続く「ノルウェイの森」では左チャンネルからシタールの音が断続的に流れる。今でこそ、これはインドの民族楽器の音色と分かっているが、何の情報もない発売直後はとても不気味な音に聴こえたのではないだろうか。

 とりあえず、最初の二曲でこれまでとは違う方向性を示したビートルズ。あとはやりたい放題である。
 「ノーウエア・マン」ではジョンが見事なコーラスワークで自分の孤独な内面を描き、「ガール」では唄の途中のブレス(息継ぎ)さえもメロディーに同化させる。「イン・マイ・ライフ」はジョンが故郷のリバプールを振り返ったものだが、決して甘ったるくならないところが、さすが。ポールのラブソング「ミッシェル」だって、どこかハードボイルドな感じがする。
 ジョージも名曲「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」を残し、リンゴは「ホワット・ゴーズ・オン」で初めて曲の作者としてクレジットされた。

 ついでに忘れちゃいけないのは「ラバーソウル」に先行して発売されたシングルレコードの「デイトリッパー」と「恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)」である。
 リフが印象的な「デイトリッパー」と「人生は短くて、友達と争っているヒマなんてない」と唄う「恋を抱きしめよう」は、なんと強力なカップリングのシングルレコードだったのだろうと思う。
 現在、この二曲は「パスト・マスターズVol.2」で聴くことができる。

 「ラバーソウル」を製作した1965年、ビートルズはまだアイドルでハードなツアー(日本に来たのは翌66年である)をこなしていた。しかし、「ラバーソウル」のビートルズは、もはやアイドルではない。自分たちの音に対して自覚的なアーチストに変化しつつあった。
 このアルバムが起爆剤となって、近頃評価の高い次作「リボルバー」、そして「サージェント・ペパーズ〜」が発表されるのだが、それらのきっかけになった「ラバーソウル」が「実は一番すごいのではないか」と最近は感じている。
 抽象的な表現だが「ラバーソウル」の独特な音の肌触りは、これ以前のビートルズにもこれ以後のビートルズにもない。アイドルとアーチストの中間期に作られたからこそ「ラバーソウル」は生み出されたように感じるのだ。

 しかし、最も驚異的なのはビートルズがデビューからわずか三年で「ラバーソウル」を作り出したことだ。62年のデビューから全力疾走を続け、成長期にあった天才たちの一年は、普通の一年ではなかったのである。

| ビートルズとその周辺 | 11:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ビートルズから始めよう

A Hard Day's Night − ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!A Hard Day's Night − ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!
ザ・ビートルズ


 近頃、集中してビートルズを聴いている。こんなにビートルズばかりを聴くのは、中学生以来だから25年ぶりである。
 きっかけは中古で「ビートルズ1」を買ったことで、ベスト盤としての選曲には疑問はあるものの、2曲目の「フロム・ミー・トウ・ユー」から10曲目の「ヘルプ」まで元気いっぱいのロックロールの連発が素晴らしかったからだ。
 「ビートルズを再発見してみよう」ってことで、約二週間かけてオリジナルアルバム全部とシングルを集めた「パストマスターズ」のVol.1とVol.2を聴いた。

 一般に評価の高いのは後期のアルバムの「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、「アビーロード」だと思うが、今回の再発見で「素晴らしいなあ」と感じたのは「プリーズ・プリーズ・ミー」から「フォー・セール」までの初期のアルバム。サウンド的には稚拙な部分もあるかもしれないが、ビートルズの若さと勢いが素晴らしい。後期のようにサウンドエフェクトに凝っていない分だけ、生身のビートルズのすごさが分かるのだ。

 ベストアルバムは「ア・ハード・ディズ・ナイト」だ。未だに「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という邦題がついているから間抜けなアルバムに感じるが、これはビートルズの最高傑作ではないか。同時に早熟なジョン・レノンのピークを記録したアルバムでもある。
 「バーン!」と始まる「ア・ハード・ディズ・ナイト」からラストの「アイル・ビー・バック」まで一曲足りとも無駄のない展開。「イフ・アイ・フェル」と「エニタイム・アット・オール」は数多くのジョン・レノンの曲の中でも上位に位置する名曲だ。

 ついでに映画(「ア・ハード・ディズ・ナイト」はサントラ盤でもある)も見直したが、これも素晴らしい。未だに新鮮なカットの連続には驚いた。当たり前のことだが、最初からビートルズはすごかったのだ。

| ビートルズとその周辺 | 23:03 | コメント(-) | トラックバック(-) | TOP↑

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